大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和27年(刑わ)1439号 判決

〔抄録〕

一、本件騒擾成否を判断するについての当裁判所の基本的態度

刑法一〇六条所定の騒擾罪が成立するためには一地方の静穏を害するに足りる程度の暴行、脅迫をするのに適当な程度の多数人が集合し、その集合した多数人の中で一地方の静穏を害するに足りる程度の暴行、脅迫が行なわれ、而も集合した多数人が共同してその暴行脅迫をするという意思が存在することを要する。この意思は通常、多数人の合同力をたのんでみずから暴行脅迫をなす意思ないしは、多数人をしてこれをなさしめる意思と、このような暴行脅迫に同意を表わし、その合同力に加わる意思とにより構成されているが、一地方の静穏が現実に害されたことまでは必要としない。而して本件が騒擾罪に当たるかどうかを決するためには、本件が昭和二七年五月一日当日のメーデーの集団示威行進の一部が、当局が許可した路線の解散地点でおおむね解散することなくそのまま集団示威行進を継続して皇居前広場に進入し、または、しようとしたことが発端となって発生したものであることにかんがみ、憲法が国民に基本的人権の一つとして憲法二一条一項所定の集会ないし表現の自由を保障し、この自由を侵すことができない永久の権利であるとし、国民自身の不断の努力により保持すべきことを命ずると共に、憲法施行の任に当たる者に対し憲法擁護の義務を課していることと、他方国民にその濫用を禁じ、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負わしめていること(憲法二一条一項、一一条、一二条、九九条)、を念頭に置き、いやしくもその自由を不当に侵すおそれのないよう特に留意しなければならない。

以上は、当裁判所の騒擾罪に関する基本的な見解やその適用についての態度であり、これを前提として、本件騒擾の成否についての判断をする。

二、明治神宮外苑会場から皇居外苑広場を志向した集団員の目的

終戦後、昭和二五年までのメーデーやその他大規模な大衆運動の行事が例年皇居外苑(いわゆる人民広場)で行なわれていたのに、昭和二六年のメーデーにはアメリカを主とする連合国の占領下にあった政府において、同広場の使用を許可せず、講和条約発効後における最初の本件メーデーに際しても政府は同外苑の使用禁止措置をとり、その取消を求める総評提訴の訴訟が東京地裁の第一審判決で政府の敗訴に帰したのに、政府は上訴の手続をとってなおもその措置をかえようとしなかったことにつき基本的人権を侵すものとして明治神宮外苑の本件メーデーに参加した多数の者はこれに抗議の意を表明するため皇居外苑に入る目的をもって結集し同外苑を志向して中、南部の各コースを行進するに至ったが、これらの者はおおむね反政府反米的思想感情において共通し警察官、在日米軍に対し反感ないしは敵対感情を抱いていたものである。

三、中部第一群集団の日比谷公園を出発してから二重橋前広場に到着するまでの間の途上並びに後記警察官との最初の接触が開始されるまでの間の同広場における状況

その中、学生等二千七、八百名の中部第一群集団が明治神宮外苑のメーデー会場から皇居外苑を志向して中部コースを行進し午後二時頃日比谷公園に到着した。

警視庁当局においては、当時日本共産党が昭和二六年の五全協において決定した新綱領に基づき民族解放民主統一戦線を強化し従来の議会主義平和革命主義を捨てて武力革命主義を採用すると共に軍事方針を採用し、その新綱領や「球根採培法」等偽装表題がつけられた軍事方針についての各種非公然文書が流されたと信じ、かつ、警察等の権力機関に対する闘争、警察官よりの拳銃奪取などいわゆる極左冒険主義的方針に基づく各種指令が出され同年以降各地で発生した警察官殺害、警察官からの拳銃奪取、火焔瓶投擲等の事件はいずれも右の指令に基づくものと信じていたことや、当時の情報などから本件メーデーの行事終了後、日本共産党員等が反権力的闘争を展開し同メーデーの集団示威行進解散地等で同時多発的な不法事犯が発生するとの情勢判断のもとに警備力を各地区に分散配置すると共に、政府が本件メーデーの会場として皇居外苑の使用を許可しなかったことから、右不法事犯の一つとして数百名の者が実力をもって同外苑に入り無許可集会などを行なうことをも予想し、それに対処するための警備計画を所轄第一方面本部にゆだね、同方面本部長倉井潔は、当日密集部隊を同外苑へ入れない、そこで無許可集会などを行なった場合は解散の措置を講ずる等の方針を定め、かつ、丸の内警察署長堀口友次郎の指揮する丸の内中隊をして日比谷公園の周辺を三田警察署長渡辺清の指揮する渡辺部隊と第一方面予備隊長加藤峯治の指揮する三個中隊をして同外苑を、それぞれ警備せしめること、当日警察官は原則として拳銃を携帯しないこと最悪の場合に使用するため同予備隊が催涙ガス筒を携行すること等の方針を決め、前日の四月三〇日その旨を右各隊長に伝え、また本件当日朝これら隊長から指揮下の各警察官にそのことが示達された。しかるところ本件当日神宮外苑会場でビラを撒布したりして一般参加者に人民広場をかちとれなどと呼びかけている者があること、皇居外苑へ行くことをめぐって同会場演壇で乱闘があったこと、学生を中心とする二、三千名の集団が中部コースの先頭を奪って行進を始め、途中警察関係の建物などに投石したりしたこと、これらの集団がそのままの形で皇居外苑に入る可能性がきわめて強いなどの報告を受けた警視総監田中栄一は同本部長に対し「これを市街地において阻止すれば警察官、集団員、一般人に及ぼす損害は大きいであろうから情勢上阻止し得ないと判断した場合はこれを同外苑に通し、しかる後爾後の措置をはかり、後続集団は既定方針どおり警戒せよ」との指示を与え、同本部長はこの指示に基づき当日の警戒総本部長増井正次郎らと協議の結果同外苑を志向して進む集団の規模様相に比し警戒配置の警察官の数が少なく警備態勢が不十分であるとの理由で一旦先頭集団を同外苑に入れた上、警察力を集中して解散措置をとることを決定し、使者をして前記各隊長に対して「先頭部隊の学生集団は通せ、後続部隊に対する措置は既定方針どおりとせよ」との旨警備計画変更の命令を伝達せしめたが、その伝達された時刻は午後一時四〇分頃であった。

前示のように日比谷公園に到着した二千七、八百名の学生等の集団は都公安条例による許可なくして間もなく同公園を出発しその先頭部分は右の方針変更により警察官から阻止されることなく午後二時一〇分頃日比谷交差点を通過し同二〇分頃ほぼ全員馬場先門入口に到着したがその間かけ声をかけて蛇行進をしたりして気勢をあげ同交差点においてその先頭が同交差点の祝田橋側歩道付近に警備線を敷いていた丸の内中隊員の方へ曲がって行きそのうちの約二〇〇名の集団員は警察官と激しくぶつかり合ってこれを押しまくり、中には棒で殴ったり、投石したりして警察官に頭部裂傷等の傷を負わしめた者があり、また同交差点における交通の関係上途切れた同集団の後続部分を、前示変更命令に示された後続集団と思い、この前進を阻止するため単身その前面に立ちふさがった堀口中隊長やその姿を見て同人の近辺に進んで行った同中隊員と集団員中の約二〇〇名とが激しくぶつかり合い中には警察官を棒で殴ったりする者があったりして、その阻止を突破する等の状況があったほか、蛇行進をしながら警備中の警察官に対して「やっつけろ」と叫んだりプラカード等で殴りかかるようにして振り回わす者、通行中の米軍用バス、米軍人の乗ったタクシー等に投石したりする者などがあった。

なお同司令部付近の濠側に駐車中の米軍用自動車二十二、三台の大半は集団員の投石や棒でたたいたりする等の行為によって損壊されたりなどした。

馬場先門に到着した集団員中には、旗、プラカード、棒類を所持する者が多く、特に最前列やその付近では半数ぐらいの者が棒を所持する状況であった。

当時馬場先門入口付近には第一方面予備隊の二個中隊等が阻止線を敷いたり輸送車数台を道路に置くなどして集団の皇居外苑進入を防ぐ態勢をとっていたが、集団員中には警察官に対してプラカードを上下に振ったり「ポリ公今日はやっつけるぞ」など罵倒脅迫したり投石したり、たえず動き回わったりして同広場への進入意思を強く表明し、付近の土堤上からの声援もあって警備警官隊の指揮官中には畏怖の念や進入阻止不可能との念を抱く者が出る程集団の気勢が上がっていった。それら集団員中の大多数の者は、日比谷公園から更に集団示威行進をして皇居外苑広場に入る行動に及ぶにおいては、警察官が違法行為として制止等の規制措置に出るであろうと予測していたものでありそのうち相当数の者は馬場先門に集結した時点において同外苑への進入に関し右の規制措置があった場合はその警察官に対して多数人の合同力をたのみ、みずから暴行脅迫をし、または多数人にこれをなさしめる手段に訴えても、その目的を実現しようとの意図を有していた者や右意図を支持認容していたものと認められる。

加藤第一方面予備隊長はこの集団の規模状況を見て倉井本部長の前示命令に従い、この集団を同外苑に入れることも止むを得ないと考え部下をして右阻止線を解除せしめたが、これを見た集団員は「人民広場を取り返せ」などと叫んで一せいに二重橋の方向へ進入し始めた。この時刻は午後二時三〇分頃であり同方向へ進み始めた集団員の人数は前示の土堤から合流した者を含め約三千名であったと認められる。

かくして同外苑に入った集団員は付近の警察官や該輸送車に投石したり「ポリ公今日は叩き殺すぞ」と叫んだり中央自動車道路と馬場先通りとの交差点(以下皇居前交差点と略称)にいる交通係警察官に投石したりなどする者のある状況下、旗などを高く掲げかん声を上げつつ二重橋前広場に向かって突進して行き午後二時三十数分頃その先頭から次第に同広場に到着し始めた。これらの者は政府の皇居外苑使用禁止につき総評から提訴された訴訟が第一審において総評側の勝訴に帰したものの政府において控訴中であったときに、さしたる警察官の規制もなく同広場に到着し、または到着することが確実となったことによる安堵、喜悦、勝利、征服等の感情を抱き、二重橋の石柱、木柵に上ったりして赤旗筵旗等を打ち振り万才を叫ぶ者、インターナショナルを歌う者「今日のメーデーは人民の勝利だ」などと叫ぶ者があって一時はそれらの声が大かん声となり、また木柵を越えて、さほど奥までは行かなかったが二重橋上に立ち入る者があったりその木柵をゆり動かして損壊した者などがあったけれども、次第に神宮外苑よりの行進などに伴なう疲労感から腰を下ろしたりして休む者が出る状況であった。しかしながらその状況下においても警察官に対する敵対ないしは警戒心を持ち二重橋上の警察官に対して投石したり罵倒する者があり集団員の持つ棒のたぐいは相当数にのぼったものと認められる。

四、二重橋前広場における警察官と集団員との最初の接触の経緯とその接触開始後警察官と集団員とが中央自動車道路を挾んで対峙の形をとるまでの間の状況

集団の馬場先門における状況や同広場の方へ前進して行く状況を見て、集団が二重橋を越えて皇居内に侵入する可能性が強いと判断した同予備隊加藤隊長から「二重橋を守れ」との命令を受けた第二中隊長長岡武は、同隊長同様の判断をし部下にその命令を示達した上先頭より第一ないし第三小隊の順に並ぶ同中隊を率いて二重橋方向に前進して行き同広場に到着してその先頭部分は二重橋前木柵より十数メートル手前のところで前面集団員と二、三メートルの間隔を置いて一旦停止した。

同中隊が近付いてからその停止をするまでの間集団中から「ポリ公が来たぞ」「スクラムを組め」「女は中へ入った方がよい」などの叫び声が上がり、それと共に集団の中には濠沿い鉄柵の方へ密集する動きがあり同時に女子等列中に下がる者、前へ出て行く者、スクラムを組む者、旗プラカードの角棒、釘の出た棒、竹やり様のもの、野球用バットなどを振ったりして気勢を上げると共に警察官に石などを投げつける者があった。

かかる状況下で一刻も早く二重橋木柵付近に阻止線を敷こうとした長岡中隊長は、警察上の強制力をもって密集した群衆を押し分けて進む楔型隊形を中隊に作らしめるため喧騒状態の中で、「目標二重橋、楔型隊形進め」との号令を下し、号令不徹底のため不完全な同隊形を作った第一小隊の先頭に立ち、もし前進を妨害する者があればこれを排除して進もうとの気迫をもって前進し始め、前面の集団員と接触して同小隊の先頭部分と共に集団員の中に分け入りこれらを後退させたりなどしつつ、さらに数メートル前進した後、後退の止んだ集団員の中を何らの警告もせず、またそれら集団員に対してその前進目的を周知徹底せしめる手段をとることなく、強制力を行使し強力に押し分けて進んで行った。

警察官が犯罪の発生を予防するため警察上の強制力を行使し得るのは、その予防の対象である犯罪の発生が目前に迫っている場合に限られるべきものであるところ、当時同広場に集まっていた集団員は都公安条例による行進集会の許可を受けた者ではなく、また政府の使用禁止に反して集まった者等ではあるが、これらの集団員が二重橋を越えて皇居内に侵入する意図までは持っていなかったものと認められるので、同中隊長や右先頭部分が同条例に基づいて集団員を排除し、ないしは警察官に投石する者等を排除する目的ではなく集団員が皇居内に侵入するとの前提に立って阻止線を敷く目的で右のように警察上の強制力を行使した措置は違法である。

この第一小隊先頭部の前進を認めた集団員は、政府の皇居外苑使用禁止措置に反し、かつ、都公安条例による行進集会などの許可を受けずして二重橋前広場に集まったとの理由で警察官が集団員に対し実力行使による何らかの規制に来たものと考え、かねてから政府の右禁止措置及び同条例が違憲無効のものと思考していたことと、何らの警告もなく前示のように警察官が集団員の中に分け入って来たことなどから警察官のかような行動を理不尽のものと思い長岡中隊長以下約三〇名を算する第一小隊員の付近にいた集団員中の一部の中には前に押し出る者、スクラムを組む者、棒などを前に出したり振り上げたりまたは旗の棒を振り回わす者らがあってこれら第一小隊員の前進を阻もうとし、それに対して同小隊の先頭部分中には警棒を使い集団員の中をかき分けるなどして二重橋前木柵付近に到着した者もあったが同先頭部の大方の警察官は警棒を使用し、小突き、棒等を払い、あるいは殴って来る者をめがけて打つ等の手段をもって激しい勢で同木柵方向に前進する状況であった。その間集団員中には右各行為のほか、所携の棒等で接触面に近い警察官のヘルメットの上から頭部を殴ったり警察官にしがみついたり、また中には投石する者があり、一方先頭部及び後続部を含めた同小隊員中集団員と接触する付近にいた警察官の中には右認定のような警棒の使い方をしたほか警棒を振り回わしたり集団員を殴ったりして二重橋方向へ進む者、集団員の間隙を通り同方向へ向かう者、また身体を馬場先方向に向けて集団員を押しながら木柵に近付こうとする者等があり、かくして第一小隊員の大部分は付近集団員の全面的なさして強い抵抗を受けることなく、たちまちにして集団員の中を突破し目的の同木柵付近に到着した。

集団員の右行為のうち警察官を殴ったりした行為は警察官の違法な殴打等に対しての防衛行為として止むを得ないもののあったことの可能性を否定し得ないが、警察官を殴打したり、これに投石したりした者の中の相当部分の者は防衛の程度を超えたものか、または警察官の強力な押し分け前進行為、殴打行為を見て憤激したり、または警察官が集団員に対して何らかの理不尽な規制を加えれば棒などを持った集団員の衆をたのみ、これらの者の警察官に対する殴打投石行為を見たり察知したり予見したりしてこれらと一体となって同様の暴行を加えようとの積極的加害意思をもってこれらの所為に及んだものと認められるがその人数は集団員全体から見てきわめて少数の者であったと認める。

第一小隊に後続する第二、三小隊員はいずれも喧騒下における長岡中隊長の前示号令を聞きとり得なかったが、すでに中隊の先行部分が集団員と接触を開始したことを察知し、加藤隊長の「二重橋を守れ」との命令を実施するため、大方の警察官は当初警棒を横に構え馬場先門方向を向き二重橋の方へ詰寄りながら前面の集団員を押し下げ始めた。この押し下げ開始行為も前同様の理由により違法である。

なお、この押し下げ行動開始の頃、集団員中にはこれらの警察官に対して投石する者があり、またその押し下げに対し後退する者もあったが、押し返そうとする者、棒等で激しく殴打する者などがあった。

また、右の経過により、二重橋前木柵付近に到達した第一小隊員の大部分は、ほとんどこれに引き続き第二中隊の後続部分が右のように接触を開始し、かつ、前面になお警察官に対抗する気構えを示す者があったので、付近集団員全体を押し下げるべく濠沿い鉄柵寄りの集団員を押し下げ始めた。

第一方面予備隊第四中隊長永井俊男は、長岡第二中隊長が加藤隊長から「二重橋を守れ」との命令を受けた頃、同隊長から「二中隊の後を追い二重橋を守れ、解散させるんだ」との命令を受けて途中集団員から投石を受けたりしながら二重橋前広場に到着したが、その頃、すでに第二中隊員と集団員とが激しい接触を開始していたので永井中隊長は第二中隊を援護して加藤隊長の命令による任務を果そうとし、集団員に対して「解散しろ」と何回も叫び、部下に対して「押せ」と命令した結果、第四中隊のおおむねの警察官は前面の集団員を押し下げ始めた。その間、集団員中には、スクラムを組みこれに対抗しようとする者、投石する者、棒等で殴りかかる者があり、同中隊員中にも、警棒を片手で持ち、あるいは振り上げたりなどして集団員に対抗する気構えを示す者があった。

このようにして、第二、第四中隊などは、第二中隊を右翼、第四中隊を左翼とする形で集団員を馬場先門方向に押し下げる行動に移り、たちまち現場は混乱するに至ったが、この時の警察官の人数は約二二〇名である。

右のように押し下げ行動を開始した警官隊は濠端鉄柵沿いを進んだ第二中隊の先頭部の隊員に連なりながら、おおむね御森林島方向に延びた人垣のような態勢で集団員と接触したのであるが、そのうち同鉄柵寄りの警察官が当面する集団員の抵抗はさほど強いものではなく、この部分の警察官は他の部分の警察官よりも迅速に集団員を排除しつつ前進し、そのうちの一部は余勢をかって左側背に多数の集団員を残しつつ同鉄柵寄りを祝田町警備出張所付近まで前進した。しかし、鉄柵沿いの警察官よりも御森林島方向にかけていた警察官は、集団員の棒などによる抵抗の強弱により一進一退する部分もあって、凹凸を描く形になりつつも次第に排除が進み、集団員をおおむね同出張所と御森林島の東南角とを結ぶ線の手前あたりまで一応押し下げた。

しかしながら警官隊は、右のように集団員を押し下げて行くに従って集団員との接触線が延びきってしまい、警察官の中には孤立化する者もあって警察官相互の連繋が弱まり、結局警官隊は前示の線の手前あたりから集団員を馬場先方向へ押し下げ得ない状態となった。その頃、一旦後方に退いた集団員を含め、同出張所付近にいた集団員が数百名となって、かん声を上げると共に前に押し出して来、一部は現に警官隊と接触中の集団員に加わり、その余の多数は濠沿い鉄柵寄りの警官隊を志向して進んだ。

集団員と警察官とが、二重橋前広場で最初の接触を開始してから数百名中の多数の者が右のように濠沿い鉄柵寄りの警察官の方向を志向して進んだ頃までの間、なお馬場先門方向から到着して前に押し出そうとする者、女性をかばい後退のできない者、逃げ出す者、転ろぶ者等がいて混乱する一方、押し下げ行動に従事している警察官に対して有形力を行使する集団員の数が次第に増加して行き相当数の者は警察官を棒などで前や後から殴ったり取り囲んだり引き倒したりして殴ったり蹴ったりし一名の警察官を桜田濠に突き落したりし、加藤隊長から「直ちに集団員の前面に到り速やかに解散するようにと放送せよ」との命令を受けた同予備隊放送班長林悦郎が御森林島東南角付近で、警察の宣伝車中から「速やかに解散して下さい」と放送したのに対し、その宣伝車に激しく投石したり棒でこれを叩いたりし、取材中の外人記者を棒で殴打したりした。

また右のように数百名中の多数の者が、鉄柵寄りの警察官を志向して進んだため、その方の警察官は左側面から圧迫される形となり、かつ後方から、「さがれ」の声が聞えたりしたことなどから、それらの警察官が後退し始めたのを機会に、全体の警察官は後退に転じ二重橋前広場の突き当り鉄柵付近に集結したが、その間集団員は警察官に激しく投石したり逃げ遅れた警察官を殴ったりかん声をあげたりなどしながら後退する警察官を追うようにして同広場の中間辺りまで押し出した。

右のように警察官に対して有形力を行使した者の中には、前同様警察官の違法な殴打等に対する防衛行為として止むを得ないものがあったことの可能性を否定し得ないが、警察官を殴ったりした者のうちの相当部分は前同様の理由で警察官が集団員に対して何らかの規制に来たものと思い、警察官がその目的を徹底させることなく前示分け入りに引き続いて押し下げ行動を続けることを理不尽なものと判断したり、その間行われた警察官の後記のような過度の実力行使の情況を見たりして憤慨し、あるいは警察官が理不尽な何らかの規制を行うにおいては多数人の合同力をたのみ自らもこれに加わって暴行脅迫の手段に訴えても警察官に対抗しようとの意思に基き、相当数の集団員が棒などで警察官を殴ったりするのを見たり、察知したり、予見したりして、あえて、その合同力に加わり積極的加害の意思を以てそれらの所為に及んだものと認められ、また右のように濠沿い鉄柵寄りの警察官の方へ進んだ集団員の大部分も、多衆の合同力をたのみ、右のような積極的加害意思で警察官に対して暴行を加えようとする者、または、かような行為をする者を支持認容しこれらの行為に及ぶ者に気勢を添えたりして多衆の合同力に加わり、警察官と抗争する意思を持っていたものと認める。一方警察官側も、この押し下げの段階において、警官隊の数に比し、集団員の数が圧倒的に多く、集団員中には、使用方法によっては兇器ともなるべき棒、竿のたぐいを所持する者が目立ち、前示のように警察官を殴ったり投石したりすることによって、警官隊に立ち向う者があったことから、集団員がおおむね一体となって警官隊全体に対して暴行を加え、職務の執行を妨害すると考えた結果、集団員を押し下げなければならないという責任感ないしはこのような状況に基因する恐怖、興奮、狼狽等の心理状態、自己防衛本能から警察官を殴ったり殴ろうとする者に対し、手でよけたり、棒竿等を奪ったり警棒を使って受けたり、払ったり振り回したり、突いたり打ち返したり打ち合ったり等した外、それらの周囲の者や、後を向いて逃げる者に対してまで警棒を振り回したり、あるいは警棒を使用して頭等を目がけて殴る等の行為に出た者があって、中には無抵抗の女性に対してまでそのような行為に出た者があった。

濠沿い鉄柵寄りの警察官を指向して進んだ集団員が二重橋前広場の中間あたりまで押し出した頃、加藤隊長の命により前示林班長が宣伝車からガスを使用する旨の放送を行った後、同予備隊本部特別班員によって催涙ガス筒一〇個が集団員に向って投擲されたが、これにより集団員は、なお激しく投石したりそのガス筒を投げ返したりしつつ後退を始め、結局集団員は銀杏台上の島の西縁付近、祝田町警備出張所南側桜田濠沿いの部分等まで後退した。その頃集団員中には同出張所勤務の警察官を殴打して失神せしめ弾丸装填のない拳銃一挺を持ち去るなどのことがあり、また右後退後同出張所と御森林島の東南角とを結ぶ線あたりまで進出して来た警察官と対峙し、投石したりじりじりと前進したりしたので、警官隊はその付近で第二回目のガス投擲を行った。

この頃から集団員の大部分は、主として祝田橋、楠公銅像島の方向へ後退し始め、第二、第四中隊の全員は、その投擲直後集団員の方へ突進して行き、集団員と接触混乱状態となり殴り合いをする者もあったが、その頃同予備隊第一中隊の警察官も右二個中隊の左翼に連なる形となって排除活動に加わり、集団員を同方向に押し下げる行動を続けた。これに対して、集団員は後退しながらも、警察官を棒や竿で殴ったり突いたり、催涙ガス筒を投げ返したり、石、瓶等を投げたり、棒などを持って警察官に迫まったり後方に回ったりして立向うなどし、警察官においても、殴ってくる集団員を警棒で殴ったりしたほか、警察官に対し現に攻撃していない集団員の頭を後ろから殴ったり、退いて行く集団員のあとを警棒を振り上げながら追い進んだり、両者所所で入り組み一進一退したり、三名の警察官が計九発の拳銃発射をした事象などがあった状況下で結局集団員は桜田土堤、祝田橋方向から主として楠公銅像島上にかけて後退し、警官隊はこれを追っておおむね銀杏台上の島の中央自動車道路に沿う部分で停止集結したが、その時刻は午後三時頃であった。

警官隊が第二回目のガス投擲をしてからそれまでの間、警察官に対して右のような行為に及んだ者は通計数百名でありそのうちの大部分は前同様の意思を持つ者と認められるが、前示のガス投擲等によって集団員は離合分散したりして、二重橋前広場で警察官の方へ押し出して行った数百名の者が、そのまま同一性を保ちそれが一団となってガス投擲後も警察官との抗争を継続したものとは言い得ない。

右の経過により集団員の大部分は楠公銅像島に移りその多数は同島の中央自動車道路沿いに警察官とほぼ同じぐらいの巾で蝟集し、ここに同道路を挾んで両者対峙の形となり、その余の集団員は祝田橋上やその両側の土堤上土堤下、銀杏台上の島、銀杏台島及び馬場先交番島等に散在するに至った。

加藤第一方面予備隊長がいかなる法令を念頭において右のように長岡第二中隊長に「二重橋を守れ」と、永井第四中隊長に対して「第二中隊の後を追い二重橋を守れ、解散させるんだ」と、また林放送班長に対して「直ちに集団の前面に到り速やかに解散するように放送せよ」とそれぞれ命じたのかについては証拠上これを明らかになし得ない。

五、この段階における死亡者及び負傷者

警察官側

第一方面予備隊の本部、第一、第二、第四中隊員等計約三二〇名中のこの段階での負傷者数は重傷者三名を含め計百四十余名であるが、うち多数は最初のガス投擲までの集団員の殴打、投石等によって生じた。右重傷者の一人たる三部巡査は二重橋前広場で集団員と接触中、後頭部を強打され一時失神し、さらに意識回復後桜田濠に突き落されたりし因って骨の損傷を伴ない六、七針縫合の後頭部裂傷及び三、四針縫合の前額部裂傷を受けた。

集団側

集団側の負傷者の人数、負傷の原因、部位程度は正確に把握できないが相当数の負傷者のあったことが認められ病院等で即時治療を要する程の傷を負った者は女性を含む数十名でその傷の部位程度は縫合を要する頭部裂傷が多く後頭部に傷を受けた者も少くなかった。これらの傷はおおむね警察官の警棒による打撃が原因であった。特に法政大学生近藤巨士は接触開始後最初のガス投擲直前、倒れていた学友を助け起そうとした際警察官から警棒で頭部を殴打され頭蓋骨折等の傷を受け六日後死亡し、また前示三警察官の拳銃発射があった頃銀杏台上の島で拳銃弾一発を右大腿部に受けた者もあった。

六、中部第二群集団の日比谷公園内及び日比谷公園を出発して皇居外苑に入り楠公銅像島の中部第一群集団と合流する形となるまでの間の状況

午後二時半頃一部早大生等百数十名が棒などを携える者を含めて霞門から日比谷公園に到着し指揮者が「これから人民広場へ行進する」旨の宣言をしたり、まわりの者に同行方を呼びかけたりし「人民広場へ行こう」と連呼しながら同公園内桜門付近に進んで停止したが、同公園内で所持のプラカードを壊して棒に仕立てる者があった。

当時桜門外には丸の内警察署長から密集部隊が桜門を出た場合には解散措置をとるべき旨の命令を受け署員六〇名を桜門の桜田橋側門柱から車道にかけて横隊に配置していた同署次席警視窪田正男はこの一団の学生指揮者らしい者に対して解散の呼びかけをしたが黙殺された。

午後二時四〇分頃桜門付近に新宿ほか約一〇個所の職安の自由労務者を主とし日本共産党の東京都における地域的下部組織員、自由労務者以外の労働者、高校生を含む中部第二群集団が桜門付近へ到着し前示学生らの先頭付近に位置したが、同公園内で同集団員に対し「皇居外苑内で警察官と先行集団員とが衝突した」旨、あるいは「ガスを使っているから気をつけろ」などと伝える者「人民広場にはすでに二、三万人も入っているから後に続け」と煽動する者があり、集団内部ではかけ声をかけて気勢を上げたり「行け行け強行突破」「突っ込むのだ」との声が上がったりプラカードを持つ者の中の相当数の者はこれを壊して棒にしたりする者があったり、石を拾って買物袋に入れる婦女がいたりした。この頃窪田警視は集団の指揮者と認めた者に対して前同様解散の呼びかけをしたが、これも黙殺された。

また桜門外に前示の警察官がいるのを見て、「自衛隊を作れ」と呼びかける者があり、若い自由労務者を主とする数十名は隊列の先頭部を形成したがこれらのうちの相当数の者は棒、竿等を持ち、中には石を持つ者もあった。

やがて中部第二群集団は右の自由労務者を先頭にして「行け行け」の声やかん声を上げて蛇行進で桜門外に出、たちまち右の警察官と接触して押し合い集団員は警察官を棒で殴ったり、これに投石したりし、警察官も集団員を殴ったりしている間にそれ以外の集団員はかん声を上げながら祝田橋の方へ向かい始め警察官と接触中の集団員もこれに加わってその方向に進み窪田警視以外の警察官も駆け足で祝田橋の方へ向かった。

中部第二群の集団員が祝田橋に近付いた頃祝田橋両側の土堤上からかん声を上げ「同志がんばれ」と叫んだり赤旗を振ったりする者もあったが中部第二群の先頭は祝田橋交差点の同公園側の歩道及び車道上に一ぱいとなって皇居外苑の方を向いて一旦停止した。

その頃祝田橋の祝田橋交差点入口には高輪警察署員及び桜門から後退して来た前示丸の内署員等合計百数十名の警察官が阻止線を敷いていたが、中部第二群の先頭部及びこれに続く者が棒、旗竿、プラカード等を持ち、後方で大鼓を鳴らして気勢をあおり「ぶち殺しちゃえ」「進め、進め」等の声が上がる状況下で右阻止線の警察官の方へ進んで行き警察官を押したり、棒を突き出したり、棒で殴ったりし警察官においても殴って来る者を殴り返したりして激しく接触し、時には一部の警察官において前進することもあったが、結局警察官全員皇居外苑内桜田門の方へ後退し、その接触中から集団員は同外苑に入り始め、かくして同群の集団員のほとんど全部は同外苑に入り、その多数は銀杏台上の島上の第一方面予備隊員と対峙の形となっていた中部第一群集団員のいる楠公銅像島に行き、これと合流する形となった。その際祝田橋を渡って同外苑に入った者の数は、これを二、三千名と観察した者があった程多数であった。なお祝田橋で右の接触を開始した頃から祝田橋両側土堤上にいる者の中には警察官に対して石などを投げる者があり警察官が後退してその土堤に接近するに従いその数が増加して行った。

祝田橋における右接触の結果、前示百数十名の警察官中約六〇名が負傷しその大部分は集団員の殴打投石によるものと認められるが、その中後頭部を棒で殴打されたりして失神を伴なう等の重傷を受けた者は五名である。

七、南部先頭集団及び朝鮮人集団の日比谷公園内並びに同公園を出発して皇居外苑に入り銀杏台島に到着したときまでの間の状況

同会場から大田労連書記局員、日本共産党品川区及び大田区委員会、大森職安蒲田分室の自由労務者及びそれ以外の労働者等百数十名の南部先頭集団は徳田球一の肖像プラカード等を先頭にし、在日朝鮮統一民主戦線傘下の少なくとも一〇〇〇名以上の成人を含む朝鮮人集団は朝鮮民主主義人民共和国の旗や金日成の肖像プラカードを掲げ午後三時頃相次いで日比谷公園に到着したが同公園内における状況として南部先頭集団については「人民広場へ行こう」との叫び声が同集団中から上ったり、同集団員に「これから人民広場へ行くからしっかりしろ」などと伝える者があったり血のついたワイシャツを着て「人民広場で相当もめているから君達もしっかり頼む」との旨を呼びかける者があったりまた集団中にあったプラカードの大半を壊して棒に仕立てたり婦女子を列外に出したりする状況が見られ、朝鮮人集団については婦女子、小学生を列外に出し青年集団員を前に並べたりしプラカードを所持する者はほぼ一斉に激しい音を立ててこれを壊し棒に仕立てて持ち、また石を拾い着衣のポケットに入れる者もあったことが認められる。

やがてこれらの二集団は、かん声を上げ当時すでに警察官のいなかった桜門、祝田橋を経て中部第二群に引き続き同外苑に入り中央自動車道路を通ってその大部分は銀杏台島に達した。

なお中部第二群集団、南部先頭集団及び朝鮮人集団の大多数は日比谷公園出発当時同公園から更に集団示威行進をして皇居外苑広場へ入る行動に及ぶにおいては警察官がこれを違法行為として制止等の規制措置に出るであろうということを予測していたものであり、かつ、これら集団員の中に皇居外苑広場への進入に関し警察官の制止その他の規制措置があった場合、その警察官に対し、多数人の合同力をたのみみずから有形力を行使したり害悪を告知したりないしは多数人にこれをなさしめる手段に訴えてもその目的を実現しようとの意図を有していた者や右のような行動に出る者があることを予見しながら、これを支持認容していた者が相当数加わっており、またこれら祝田橋から皇居外苑広場に進入した集団員中には中部第一群集団員がすでに皇居外苑広場で警察官と衝突した事実を知っていた者が相当数存在したものと認められる。

八、以上説示の範囲における騒擾罪の成否

以上説示の時刻、場所、範囲においては、未だ騒擾罪を構成するに足る事実の証明がないから、騒擾罪の成立を断定しない。

九、警官隊と集団員との位置関係等について

第一方面予備隊により排除された中部第一群の大部分は楠公銅像島に後退し、そのうちの多数が同島の中央自動車道路沿いに位置し、同道路を挾んで銀杏台上の島上の同方面予備隊と対峙する形にあった際、中部第二群集団員が皇居外苑広場に入り、その大部分の者は楠公銅像島に入り、次いで南部群先頭集団とこれに続く朝鮮人集団などが同広場に入り中央自動車道路を北進し皇居前交差点を左折し馬場先通りを二重橋方向に進んだ。その間警官隊も新たに同道路付近の銀杏台上の島上に出動したが、そのうち、第六方面予備隊第三中隊は中部第二群集団が広場に入り始めて間もなくの頃二重橋前に移動して同所の警備につき、第七方面予備隊本部及び一、二、三中隊は第一方面予備隊に協力し皇居外苑の集団員を排除すべき旨の警戒総本部長命令に基づき中部第二群集団が同外苑に進入しつつある頃同所に出動し銀杏台上の島東南角付近で楠公銅像島側の集団員としばらく対峙の形を続け、第六方面予備隊本部及び一、四中隊は第七方面予備隊にやや遅れて同広場に出動したが、南部群集団先頭部が皇居前交差点を左折し始めた頃から、第一方面予備隊一、二、四中隊、第六方面予備隊本部及び一、四中隊、第七方面予備隊は二重橋前砂利敷十字路付近に後退し、なお、その前に第一方面予備隊三中隊も同広場に出動し銀杏台上の島を通って第七方面予備隊が同十字路付近に到着した頃同所付近に到った。

而して、第一方面予備隊一、二、四中隊などの後退前におけるこれら警官隊前面の集団員は楠公銅像島の皇居前十字路寄りから日比谷土堤下付近にかけて中部第一、二群の集団員等が多数密集する状態で中央自動車道路を挾み警官隊と対峙し、前述のように第一方面予備隊等の警官隊が後退し始めると楠公銅像島等の集団員の多数は相前後して中央自動車道路を越え前進し、二重橋前砂利敷十字路付近に後退移動した警官隊が鍵型隊形をもって警備配置についたのに対し、銀杏台上の島上に進出した集団員は逐次右警官隊との距離を縮めると共に、そのうち桜田土堤寄りに進出した集団員は鍵型の一辺をなす警官隊を坂下門方向に見る態勢で桜田濠沿い砂利敷道路上に進出して銀杏台上の島西北部一帯に空白を残す形で集合し、その頃なお祝田橋から入来する集団員等が同島上や濠沿い砂利敷道路上に進出する者があって逐次その数を増しつつその前面は次第に警官隊に近づいた。一方前述のように皇居前交差点を左折し馬場先通りを二重橋方向に進んだ南部先頭集団、朝鮮人集団等の大部分の者はやがて銀杏台島に上がり、その前後同島に上がった集団員等と共に二重橋方向を向き同島の西縁よりやや馬場先門寄りにその前面が位置する集団の形をなすに至ったがその後同島上やその周辺にいた集団員のほとんどは同島から銀杏台上の島方向に移動し、これら移動した集団員は銀杏台上の島上の集団員と共に同島西北部一帯の空白部分を埋めまたは同島上の集団員の後方を回り濠沿い砂利敷道路の方へ移動する者もあった。

かくて濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島にかけて集合した集団員は極めて多数に上り同道路上においては約四十メートルを超ゆる密集した厚みをもつ部分があった。

一方警官隊は当初鍵型隊形で前面の集団員と相対していたが、集団員の動きに対処するため桜田土堤方向に向いていた第一方面予備隊第三中隊及び第七方面予備隊が最右翼を約二〇メートル前進させてほぼ祝田橋方向に面する斜隊形を作りこの時点における右斜隊形を作った警官隊と近づきつつあった濠沿い砂利敷道路の集団員前面との距離は二十数メートルとなり二重橋方向に面する集団員の前面は銀杏台上の島の西縁付近であった。

一〇、第一次中央自動車道路対峙以降二重橋前砂利敷十字路付近の警官隊と対峙中の集団員の状況

一、以上の間(イ) 中央自動車道路を挾み警官隊と対峙していた集団員は棒、竹竿を持つ者、前面の警官隊に対し石、棒切れ、びん、竹切れ等を投げつけたり「売国警官帰れ」、「警察官そこどけ」、「吉田の犬」などと罵言を放ったり、楠公銅像島で石を掘り、後方から石を運び集団員に渡す女性があり、中央自動車道路を通行中の駐留軍関係や一般外国人の自動車に石、棒等を投げつけ、棒等で車体を叩いて窓ガラスを割る等した。

(ロ) 第七方面予備隊の宣伝車が加藤第一方面予備隊長の命により同道路上で中部第一、二群の集団員らに対し「この集会は違法ですから解散して下さい」との旨数回放送したのに対し、これら集団員中には「そんなもの聞くものか」「やめろ」などと怒鳴る者、同宣伝車に投石する者等があり、楠公銅像島の集団員や北進中の集団員に対し、「解散して下さい」との旨繰り返し放送した第六方面予備隊の宣伝車に対しても投石する集団員があり、集団員が銀杏台上の島等から濠沿い砂利敷道路に進出しつつあったとき、同宣伝車が同道路を往復し同島等の集団員に対し「解散して下さい」「投石を止めて下さい」との旨繰り返し放送したのに対し前後左右から投石した。

(ハ) 楠公銅像島方向から前進する集団員は旗プラカードの外棒、石等を持っており、その中では棒を持つ相当数の集団員の存在が目立ち、中には棒を振り上げながら進む者、または石を持っている集団員で後退する警官隊に近接しこれを追うという形で進む者、「やっちまえ」「特攻隊」との旨叫んで気勢を上げ者があり、楠公銅像島の皇居前交差点付近から前進を始めた集団員中銀杏台上の島上において先頭部を形成した数十名は、その内相当数の者が長い棒を持ったり振り上げたりする状況で同島上を二重橋方向へ後退するその方面の警官隊後尾の警察官に接近して来たりして石や竹片を投げつけたり、また、同警察部隊と前後しながら二重橋方向へ進む集団員中には、同警察部隊の警察官に投石したり、棒で突いたり、足をすくったりする者があり、楠公銅像島の祝田橋寄り付近から前進を始めた多数集団員はその前面の警察部隊の二重橋方向への後退開始を見て投石する者もある状況下で、かん声を上げ一斉に中央自動車道路を渡って同警察部隊の後を二重橋方向に進み、これらの集団員及び当時既に銀杏台上の島上にいた集団員の中には同島上を後退する同警察部隊後尾の警察官に対し投石したり棒を振り上げたり棒で突いてくる構えを示したり接近して棒で突いたり、「ぶんなぐれ」「叩きつぶせ」「突き殺せ」「やっつけるぞ」などと叫ぶ者があった。

(ニ) 桜田濠沿い砂利敷道路から銀杏台上の島へかけて集まったきわめて多数の集団員中楠公銅像島またはその周辺から集まって来た多数集団員中の相当部分の者はその集まって来る過程で中央自動車道路の銀杏台上の島側に位置していた警官隊の二重橋方向への後退を知りながら集まって来たものである。

(ホ) 銀杏台やその周辺の集団員中には相当数の者が棒を持つのが目立ち、これらの集団員中には所持の旗、プラカード、棒等を高く上げたり突き出したり、かん声を上げたりして気勢をあげる者や前面の第一、第六各方面予備隊の方へ石、びんのかけら等を投げつけたり「予備隊帰れ」「予備隊来い」「ポリ公をやっつけろ」などと怒号したりする等また銀杏台島寄りの馬場先通りで車止めの木柵やプラカードを壊し手頃の棒にする者等があり、同島上の集団員が銀杏台上の島の方へ移動する間赤旗、プラカードの外、枠だけのプラカードや棒等を持ち、ワッショワッショと掛け声をかけたり等して気勢を上げながら進み、その際所持する棒を上に突き上げたり、あるいは前に突き出したりして気勢を上げる者や第一、第六各方面の予備隊の方へ投石したり警官隊の方へ近づき「われわれの天下になったらお前達を一番最初にギロチン台にかけてやる」との旨を叫んだりする者があり、馬場先通りに停車中の報道関係の車両に数人で上がり棒等でこれを叩いたりガラスを叩き割ったり等し関係者をして警官隊の後方に退避させたりし、

(ヘ) 桜田土堤に面する警官隊が祝田橋方向に前述斜隊形をとった後において濠沿い砂利敷道路上の集団員は更に若干前進したが、これらの集団員が同道路上に進出し始める状況となった頃以降警官隊の前面に進出した銀杏台上の島、濠沿い砂利敷道路上の集団員は警官隊に石、砂利、びん、煉瓦の破片、棒等を投げ、この投石等は警官との間隔が狭まるにつれてその数を増し、石が当ると喜んだり拍手したりし、赤旗、プラカード等を持つ外多数の者が棒、プラカードの柄、竹竿を所持し、「プラカードを壊して棒にしろ」と叫ぶ者、所持するプラカードを壊してその柄を持つ者、後方より前の者に「棒を持て」と言って渡して持たせる者、旗を旗竿にまきつける者、集団員の前面で棒、竹竿等を振りあげたり、振ったり、槍のように構えたりして気勢をあげる者、警官隊を前にして「来るなら来てみろ」「予備隊来るか」「鉄かぶと来るか」「宮城のっとれポリ殺せ」「ポリ公やっつけろ」「殺してしまえ」「やっちまえ」「なんでそんなところへ立っているんだ」「そこどけ」「吉田の犬」「邪魔するな」「突っ殺すぞ」「警官隊帰れ」「特攻隊前に出ろ」等の旨叫ぶ者「スクラムを組め」と叫ぶ者、これに応じたりしてスクラムを組む者などがあった。

(ト) 以上のように銀杏台上の島から濠沿い砂利敷道路にかけて集まった集団員の後方及び外周の集団員中には釘の出たりした棒の類を持つ者、付近の児童に対し芝生の波垣の竹を持って来るようそそのかす者、石や煉瓦のかけらを拾い帽子やエプロン、買物袋様のものに入れる者、近くの者に「敵か味方か」と問いかける者等があった。

(桜田濠沿い砂利敷道路における最初の衝突状況)

二、右のような状況下米川副隊長は、前示のように警戒配置につき前面の集団員と相対している第七方面予備隊の前面に位置して注視した集団員の諸状況にかんがみ集団員排除のための実力行使を必要とする事態に立ち至るであろうとの判断の下に、部下各中隊長に対し、「警棒を高く上げ、かつ、これを前に振るから、これを合図に実力行使に入れ。」との旨を指示し、この指示を受けた同予備隊渡辺第三中隊長は、同予備隊の右翼に連なって警戒配置につき前面の集団員と相対していた第一方面予備隊第三中隊の井上中隊長にその旨を連絡したので、同中隊長は、部下隊員に対し同旨の示達をした。

米川副隊長は、その後においても集団員の行動を注視していたが、桜田濠沿い砂利敷道路上の前面中央部よりやや濠寄りの部分が一際高いかん声と共に渦を巻くような形をしたりして、幾分ふくれ上がるように警官隊の方向に出て来、この部分の集団員と警官隊との間隔が一五ないし二〇メートルとなったのを、集団員が警察官隊の方に進んで来て攻撃を加えるものと思い、このままの状態では、警官隊の被害が甚大となるであろうから、むしろ警察官の方からこれら集団員の方に進んで行き、実力行使により集団員排除の任務を果たすべきであると決断し他の予備隊長との連絡協議なく、直ちに午後三時二、三十分頃、警棒を高く上げ、かつ、これを前に振り、指揮下の部隊に対して「進め」の号令を下し、第七方面予備隊本部員を伴い、前進を開始し、同予備隊渡辺第三中隊長は、米川副隊長の右号令に基づき、直ちに警棒を高く上げ、前示井上中隊に対し、実力行使に移るべき旨の合図をすると共に、指揮下の中隊に対し「進め」の号令を下し、井上中隊長も渡辺中隊長からの合図に基づき即時警棒を高く上げ指揮下の中隊に対し「突っ込め」と号令を下し、また、第七方面予備隊本部のすぐ左翼に連なっていた第二中隊の一部も本部にならって前進をはじめ、ここに第七方面予備隊の本部、第三中隊と第二中隊の一部及び第一方面予備隊第三中隊は、第七方面予備隊本部のあたりが凸出した形で、ほぼ横隊形を成し、おおむね警棒を横に構え、中にはかん声を上げる者もあって、早駆けで前示凸出部集団員の所からそれより濠寄りの方へかけて前進して行った。

三、(イ) 米川副隊長等の前進開始を知るや、凸出部集団員の左方、桜田濠寄りにまばらにいた集団員は逸速く後方へ逃げ出したが、凸出部の集団員は、前進警察官が前進を開始した当時達していた地点から前進も後退もせず、身体を前に乗り出したりして棒を突き出したり、振り上げたりし、スクラムを組んだり、前の者を押したりし、中には「予備隊来たか」と叫ぶ者があり、さらに桜田濠沿い砂利敷道路上の集団員中には投石をする者があって、前進警察官の前進に対した。

(ロ) 他方米川副隊長等前進警察官は、早駆けで進み、凸出部集団員の所と、それより桜田濠寄りに位置する集団員の所とに殺到し、米川副隊長等同予備隊本部員等と前示のように身体を前にのり出したり、棒等を突き出したり、棒を振り上げたり等して前進警察官に対していた凸出部集団員の先頭部分とが先ず激しい勢いで接触を開始し、これに続いて、それより桜田濠寄りを前進した警察官は、おおむね同濠と凸出部との間にいた集団員が逸速く後方に逃げ去ったため空白となった部分に入って来て、同濠を背にした態勢で凸出部集団員やそれよりも桜田土堤寄りに続く集団員と接触を開始した。

(ハ) かくて、棒を突き出したり、振り上げたり等して前進警察官に対した集団員と、これらの棒を警棒で払い除けたり、警棒を横に構えて集団員に体当りしたり、押したりして銀杏台上の島の方向に集団員を排除すべく強力な行動に出た警察官とは、当時この方面の集団員がかなり密集した状態で集結しており、かつ、これらの者の中に後から前の者を押したり、スクラムを組んだりして警察官に抵抗する者がある状況下で、たがいに相手を一体とみたことも作用して右の接触開始後、その付近は、たちまち双方押し合ったり、集団員は棒や竹棒を、警察官は、警棒をそれぞれ使用して、相手をなぐったり、突いたり、あるいは、相手を蹴ったりするような乱闘状態となった。

(ニ) 一方警察官と集団員との間に前示接触がはじまるや、同接触部分の右方から銀杏台上の島の西縁にかけていた集団員及びこれに連らなって同島西北角付近にわたる同島上にいた集団員は、右の接触開始とほとんど同時に桜田濠寄りから同西北角付近に順次波及する形でその前方から急激に動き出し、旗を掲げ、かん声を上げ、棒を振り上げ、あるいは投石をしたりしつつ接触部分の方向や右斜前方に移動している第七方面予備隊第二中隊員の方向、またはいずれも当時祝田橋方向に隊形をとっていた第六第七各方面予備隊第一中隊の方向に進みはじめた。

(ホ) 而して、右のように急激に動き出した集団員中、前示接触部分の方向へ進んだ集団員は、前進を続けようとする警察官とたがいに押し合ったり、棒や竿で警棒を持つ警察官となぐり合ったり、突き合ったりする乱闘状態となった。

(ヘ) また前示接触開始とほとんど同時に桜田濠寄りから銀杏台上の島西北角付近に順次波及する形で、その前方から急激に動き出した集団員中、右斜前方に移動している第七方面予備隊第二中隊の方や、当時祝田橋方向に隊形をとっていた第六、第七各方面予備隊第一中隊の方向に向かった集団員は数百名であって、ばらばらの巾の広い相当の厚みを持った形を成し、旗を掲げ、かん声を上げ、かなりの人数の者が棒を持ち、中にはこれを振り上げたり、または突き出したり、あるいは投石等しつつ警官隊の方に近づいたため、右斜前方に移動を続けていた第七方面予備隊第二中隊の後尾は、桜田濠の方へ寄って行く形となると共に、当初の鍵型隊形の警戒線の曲がり角付近に位置していた警官隊の内、第七方面予備隊第一中隊は、その勢いに押され、おおむね後向きとなり、隊列を乱して砂利敷十字路深く御森林島東南角付近の地点または祝田町警備出張所付近に後退し去り、また第六方面予備隊第一中隊は、集団員の勢いに恐れをなすと共に左翼に連らなっていた第七方面予備隊第一中隊が後退した関係もあって、出て来た集団員の先頭部分とすれすれの状態で後退がりに後退したが、その後退の巾は、その右翼から左翼にかけて順次後退の巾が小さくなる形でおおむね前向きのまま後退し、そのため、同中隊の隊形は、当初馬場先通りに警戒線を敷いていた一連の横隊形の警察官との関係において、その横隊形が右翼寄りから内側へ折れ曲がったいわゆる「く」の字の形をなすに至った。

(ト) なお前示の状況で進んで来た集団員は隊列を乱して後退する第七方面予備隊員などの後を進み、その前線を形成する集団員は砂利敷十字路内に入り、付近の警察官に投石したり棒を振りあげたりし更にまたそれより奥深く御森林島方向に後退する警察官を追尾してこれに投石する者もあった。

四、而して、桜田濠沿い砂利敷道路において、米川副隊長らが集団員に向かって前進しこれと接触しこれが排除を始めた措置は都条例四条所定の所要の措置としての集団員の排除を実行し集団員を排除退散させようとしたものであり、適法な措置であったと判断する。而して当裁判所は桜田濠沿い砂利敷道路において米川副隊長等前進警察官と接触した集団員および同接触面の方へ進んだ集団員が接触面付近の集団員に加わり、これらが一体となって前進警察官に抵抗し暴行脅迫を行った所為および右接触開始とほとんど同時に動き出した数百名の集団員の大部分が二重橋前砂利敷十字路内またはその付近に警戒配置中であったり、または前進中であったりした警察部隊の方へ前進し、これら警察官に暴行脅迫を加えた所為の時点において騒擾の罪が始まったものであり、またこの時点に引き続き時刻と場所とを少しずつ変えながら同日夕刻までの間矢継ぎ早に連続して生起した集団員らの後述の暴行脅迫の所為は多衆の集団的な暴行脅迫であって右と包括して一個の騒擾の罪に当たるものと断定する。

一一、濠沿い砂利敷道路における最初の衝突の後の状況―中央自動車道路まで

濠沿い砂利敷道路上で米川副隊長ら第七方面予備隊三中隊、本部、二中隊などの警察官の行動を阻止しようとした当面の集団員は、棒、竿で殴りかかったり突きかかったり、石や砂利などを投げつけたり、取り囲んだりして頭や肩、胸を殴ったり、蹴ったり転倒させて踏みつけたり接触面のうしろなどにいた集団員がスクラムを組んだりする方法などで抵抗し、警察官もまた集団員を警棒で殴ったり突いたり押したりしたが結局警察官は行動を阻まれるに至り同第二中隊の警察官中には桜田濠際に押しつけられるものもあり、催涙ガス筒の煙が双方の接触面辺りに流たことなどもあってこの方面の警官隊は濠側に後退したが、集団員も催涙ガスの作用や同道路上の警察官が発射した拳銃の音が聞こえたこともあって、全面的に総崩れの形で後退を始めた。桜田濠沿い砂利敷道路上の集団員が全面的に後退し始めた頃、第六第七方面予備隊の各一中隊の方に進出した集団員も後退し始め、その頃第一方面予備隊一、二中隊、第六方面予備隊本部、四中隊の各部隊は銀杏台上の島西北角付近の集団員がなお投石したり棒を振り上げたりなどしている状況下、この方面から集団員を排除すべく各隊ほぼ同時に前進を開始し、これと相前後して第六方面予備隊一中隊が、それにやや遅れて第七方面予備隊一中隊の各警察官も集団員を追う前進に移り、その方面の集団員の中には警察官に対し砂利を投げる、棒、竿を振り廻す、棒などで殴る、突く、催涙ガス筒を投げ返すなどする者があったが、これら集団員も後退に転じた。一方前述のように桜田濠際に後退した米川副隊長らの警官隊はその方面の集団員がほぼ全面的に総崩れとなって後退を始めたので再び前進に転じた。

かくて、各警察部隊は当面の集団員が後退して行くのを追い、これを排除するため前進を続けたが、その間集団員は棒、竿などで警察官を殴る突く、足を払う、蹴る、石を投げる、催涙ガス筒を投げ返す等し、棒、竿などを振り上げるなどする者をまじえ集まって反撃態勢を示したり、スクラムを組んで踏み止まったり、逃げる警察官を棒を持って追いかけたり、警察官が前進を止めまたは引返したり、手薄になったりすると棒、竹竿などを振りあげたり石を投げるなどしてそのような警官の方に迫ったり、一旦祝田橋ないし楠公銅像島方向に後退した後においても多数の集団員が勢を盛り返しかん声をあげ棒、竹竿などを振りあげたり投石したりしながら警官隊の方向に前進して来るなどしたが、午後三時四〇分頃から三時四十数分頃の間に各警察部隊はおおむね中央自動車道路以東の地域に集団員を排除して銀杏台上の島上の同道路際に進出した。以上の間警察官中には、倒れたりなどして現に抵抗の構えを示していない集団員の頭や肩、などをその背後などから一人又は数人で、警棒で殴ったり、突いたり蹴ったり踏みつけたり、足を払って転倒させたりなどした者があった。

一二、主として一予備三中隊員をめぐる祝田橋およびその付近における状況

第一方面予備隊三中隊員を主とする二、三十名の警察官は桜田濠沿い砂利敷道路における接触開始当初の頃、集団員を追ったりして一気に祝田橋方面に前進して祝田橋交差点側袂近くまで進出したものがあり、その頃これら警察官の前方や後方などから来た集団員は祝田橋上などに進出した警察官を取り囲んだり追いつめたりして、「この野郎たたいて濠の中へ葬むってしまえ」「死んでしまえ」などと言ったりしながら、棒、竹竿等で後頭部、全身等を殴打したり、蹴ったり、足を払ったり、先の尖がった竹を顔面に向けて突きかかったり、倒れたところを更に棒、竿等で頭部等を殴ったり、踏んだり蹴ったりし、更に凱旋濠の中に投げ込んだり突き落したり、「濠の中へ投げ込んでしまえ、殺してしまえ」と怒鳴って濠の方へ引きずったり、一旦濠から救い上げられて身体の自由を失っているものを再び濠の中に落としたり、濠際の集団員は濠に落ちている警察官に対し石、棒切れ、空びん等を投げつけたり棒、竹竿などで突いたり、「死んでしまえ」と罵言を浴びせたり、これら警察官に頭蓋骨亀裂骨折、後頭部陥没骨折等の傷害を負わせ、凱旋濠に落とされたり祝田橋上で暴行を受けたりしている警察官を救助するため、東京地方検察庁構内にあった押送係警察官や広場内の第一方面予備隊三中隊員等によりほぼ同時にそれら警察官の救出活動が行なわれた際、これら警察官の前方や後方などから来た集団員は、救出活動中の押送係警察官に対し、棒を振りあげたり、投石したりしながら迫り、取り囲むなどし棒で頭部を殴打したりして後頭部不全骨折等の傷害を負わせ、拳銃一挺を奪うなどし、祝田橋に倒れている警察官を集団員が棒などで殴打するのを制止した会社員をプラカードの柄で殴打して後頭部裂傷を負わせた集団員があったり、濠に落ちた警察官などを救出すべく広場から祝田橋方向に前進した第一方面予備隊三中隊、第七方面予備隊三中隊等の警察官に対し、付近集団員は投石したり、これに立ち向かって押し寄せたり、「殺しちゃえ」「殺せ殺せ」などと怒鳴ったりしながら棒、竹竿で殴ったり、先の尖った竹等で突きかかったり、土堤の上から激しく投石したりして負傷させるなどした。

以上二重橋前砂利敷十字路付近の警官隊が集団員を排除する行動を開始して後、落水警察官四名が救出された頃までの間、警察官一一名が約四五発の拳銃を発射し、被弾した者は八名八発であることが証拠上認められる。

一三、第二次中央自動車道路対峙以降の状況等

二重橋前砂利敷十字路付近から発進した警官隊により排除された集団員は概ね祝田橋ないし中央自動車道路南東に後退し、集団員の中には警官隊の後述楠公島方向への発進頃までの間祝田橋から広場外に出た者がかなりあり馬場先門等から広場外に出た者も若干あったが、なお多数の集団員が南日比谷土堤、同土堤下道路、同土堤寄りの祝田橋口、中央自動車道路の東側歩道、楠公島の同道路寄りなどに次第に蝟集し、警官隊と再び中央自動車道路を挾んで対峙する形をとり、これら集団員中には棒を所持し、大鼓を打ち鳴らし旗を振ったり喊声をあげたりして気勢をあげる者がある状況の下、警察官に対し投石したのみならず中央自動車道路を通行中の貨物自動車や乗用車などに対し、拳大の石や小石、コンクリートの破片、びん、棒切れなどを投げつけ、或は車体等を棒等で叩き、運転台に長大な棒や角棒を突っ込むなどする者があり、これらは駐留軍の軍用車、高級乗用車、官庁用乗用車に対するものが特に多かったが、外国婦人運転の乗用車、一般の貨物自動車、タクシー、放送関係の自動車に対しも石などを投げつける者があって、右投石等により運転者を負傷させたり窓ガラスを破壊するなどし、石を拾い集めて中央自動車道路の方に運ぶ女性や投げた石が自動車に当たるのを見て快哉の声をあげる者があり後述日比谷公園角付近の乗用車が最初の放火によって炎上した際南日比谷土堤上から一際高い喊声をあげて拍手を送り、右炎上車の消火のため日比谷土堤下道路から祝田橋に向かおうとした消防自動車に対し、同土堤下道路などの集団員が、石や棒を投げつけ棒などでその車台や搭乗員を叩き、同消防車の前面ガラスを破壊したり搭乗員を負傷させたりした。警官隊は右のような前面集団員の状況に鑑み、四時頃各隊ほぼ一斉にこれを排除する行動に移り、これに対し集団員は主として日比谷土堤東南隅から馬場先門へかけての方向にほぼ一斉に後退し始めたが第三予備隊が南日比谷土堤の中間付近の土堤下辺りまで進出して、集団員の中に割り込んだような態勢になった頃から集団員の中には角棒、竹竿、プラカードの板等で警察官を殴る、石、棒切れ等を投げつける、警察官と押し合う、棒などを振りかざしかなりの数の一団になったりして警察官の方に駆け進む、逃げる警察官を追いかける、警察官を包囲して棒竹竿で殴りかかりまたは背中を突く、ヘルメットの上から棒で頭を叩く、被逮捕者をどっと押しかけて奪い去るなどする者があり、楠公銅像島西南角付近の警官隊に付近から石、棒切れなどを投げたりする者があった。なお、午後五時過ぎ頃までに広場内に残留する集団員などはおおむね排除または退去させられた。この段階における拳銃被弾者は三名三発であり、そのうち当時東京都職員労働組合民生局支部員高橋正夫は、馬場先通り以南中央自動車道路以東の芝生の地域を後退中背部から拳銃弾一発を受け心臓貫通射創に因る失血死を遂げた。警察官中には右排除行動中、転倒した集団員の後頭部、肩などを殴って負傷せしめたり、頭に負傷して包帯していた弁護士浦田関太郎を理由もなく南日比谷土堤から日比谷濠に突き落としたり、南日比谷土堤上において「自分は見物人だ」と言って逃げようとしない者の頭を股の間に挾んで殴ったりした者があった。この段階で石原常治警部補は拳銃二発位を発射した。なお、第一方面予備隊員飯島清次が当日皇居外苑で集団員に対する関係において拳銃五発を発射した事実自体はこれを認めうるが、いかなる時期場所でいかなる状況の下で発射したかこれを確定することができない。また、第七方面予備隊員大西、岩淵両巡査が当日楠公銅像島西南角付近で行動中の頃、集団員に対する関係において拳銃各一発を発射した事実自体はこれを認めうるが、いずれについてもいかなる状況の下に発射したものであるかについては、これを明確にすることができない。

一四、馬場先門内巡査派出所付近における状況

集団員はまた相当数の群をなしたりして馬場先門内巡査派出所に接近し、「ポリ公ぶっ殺せ」「やっつけろ」などと叫んだり、同派出所目がけてコンクリートの破片、石などを投げ、窓ガラスを破壊したり、また同所付近に出動した石井第三方面予備隊長の率いる部隊に対し、馬場先土堤上に群がる者の中からさかんに投石した。

この間、同所勤務の警察官二名が拳銃を発射しその発射弾数は合計六発である。

一五、祝田橋日比谷両交差点間における状況

日比谷公園内外、祝田橋交差点付近の集団員中には次の如き所為に出た者がみられた。

凱旋堀に落ちた警察官救出のためジープで同方面に出動した丸の内中隊員に対し、日比谷公園側や祝田橋交差点付近で投石したり、棒で殴りかかったり、日比谷公園内に逃げ込んだ同隊の警察官に対し「ポリ公殺してしまえ」と言ったり、これを取り囲んで後頭部を殴打したりして同隊員等に傷害を負わせたり、右警察官を救護して日比谷公園内の東京都南部公園緑地事務所に連れ込んだ一市民や同事務所構内に向かって石や棒を投げつけるなどし祝田橋交差点やその付近を通行中の日本人運転にかかり米国軍人搭乗の乗用車や大型外国人用乗合自動車、外国人運転の乗用車などに投石し、車体を棒で叩き窓ガラスを破壊し、運転者を棒で叩き、運転台に棒を突き込むなどし、投石などは日本人の乗用車に対しても行なったが外国人または米国軍用の自動車を特に目標として行ない、

殴打され車を放置して逃げた外国人の乗用車一台を一〇名前後で転覆させた上、ガソリンに点火して最初の自動車放火を行ない、右炎上車の消火に出動した二台の消防自動車の吸水管を堀から引きあげその結合を外し、機関部への配線を外し、水管を刃物で切り裂き、消防士に投石し、棒で頭部を殴打するなどして消火活動を妨害し、同所に出動すべく祝田橋上に差しかかった他の消防自動車に対しても投石しその消防士を竹竿などで殴りあるいは引きずりおろそうとし、右炎上車の余燼をみて非難の声を放った者を「お前は犬か」といって所持品を調べたり小づいたりし、祝田橋上においては米国水兵二名を棒などで殴り、突きあるいは堀に突き落としたりした上、「殺してしまえ」と言ったりして桜田土堤、祝田橋上などから石や棒を投げつけ、これを制止した駐留軍要員たる市民を「こいつも一緒に殺してしまえ」と言い、同人を堀に突き落として石を投げたり、這い上ろうとするのを棒で殴るなどするものがあり、祝田橋上の多数集団員などを排除すべく行動を開始した第四方面予備隊員に対し、石、煉瓦、コンクリートのかけら等を激しく投げつけ、棒等で殴りかかったりして前進後退を繰り返して容易に退去せず、

同予備隊員がこれら集団員を排除して祝田橋袂付近に進出した頃以降において祝田橋交差点やその付近及び日比谷公園内や同公園付近の歩道上に位置した集団員中には、同予備隊員らに対し棒等で殴りかかり、石、コンクリートや煉瓦の破片、びん、棒切れなどを投げつけ、これらが警察官に当るのを見てかん声をあげ、日比谷公園内歩道付近においては投げやすいようにコンクリートの塊を砕くなどするものがあり、

交通整理状況視察の為側車付自動二輪車で通過しようとした警視庁警邏交通部の警察官などに向かって投石したり、角棒様のもので同警察官の頭部その他を殴打、負傷させ、右二輪車を横転してガソリンに点火して放火し、祝田橋日比谷両交差点間の堀側緩行車道に駐車中の米国軍用または米国人所有等の一〇余台の乗用自動車を転覆させてその七台に放火し、また右転覆放火の際この状況を目撃した集団員において拍手したりかん声をあげたりし、自動車転覆、放火の現場においてこれを制止しようとした市民を殴打し、自動車の転覆放火を現認してその犯人を逮捕しようとした丸の内警察署員に投石し右自動車の何れかが転覆された頃車輛渋滞のため交通遮断継続の可否調査の為日比谷公園桜門付近に至った丸の内署交通係警察官の後頭部を殴打昏倒させた上更にその頭等を殴り、蹴る等の所為に出て、失神重傷を負わせ、

祝田橋の交差点側袂付近に進出した第四予備隊員は自動車が次々と転覆放火される事態となるに及び祝田橋、日比谷両交差点間の集団員等を排除または立去らせる行動に移ったところ、歩道上などにいた集団員などの中には棒竿等で同隊員に殴りかかり、盛んに投石して日比谷公園内に逃げ込んだり、同公園内に逃げ込んだ上更にあちこちから投石してその数はかなりの数に達したが、多数の集団員などは日比谷交差点の方に移動後退し、同隊員も逐次同交差点の方に至近して同公園桜門付近に集結したが、これに対しても同公園内の集団員が盛んに投石し、この間同集団員中には肋骨亀裂または腰椎亀裂等の傷害を受けた者があった。

然して同予備隊員により一旦日比谷公園内に逃げ込んだ集団員などの中には同隊員が日比谷公園内で行動中再び同公園桜門、日比谷交差点間の道路に出て来、公園側緩行車道に駐車中の米国極東軍々属所有の乗用車四台を棒などで叩いて窓ガラスを破壊したりした上、数人ないし一〇人前後でこれを転覆したりしてその四台に放火した。

然して当日現場に出動した消防自動車は前示のものの外十数台に及んだが、公園内または公園側歩道上などの集団員中には公園側や堀側で炎上中の自動車の消火活動に従事中の消防士や消防自動車などに投石する者がありその投石は相当数に上ぼった。

なお、祝田橋日比谷両交差点間において車輛を連らね馬場先門に向け前進中の第五方面予備隊の車輛、警察官に対し日比谷公園内外の集団員はコンクリートのかけら、石を激しく投げつけ、更にその頃前述のように馬場先門から外苑に排除されたりした集団員などが多数いて、これらの者の中には日比谷交差点から馬場先門に進む同予備隊の車輛、隊員に対し激しい投石をし、為に負傷して病院に急送された隊員もあった。

一六、日比谷交差点日比谷映画劇場付近における状況

祝田橋方面、日比谷公園内などから警官隊に排除されたりして日比谷交差点の方に漸次移動後退して来た集団員などは、同交差点周辺に一般人を交えて多数群がるに至ったが、有楽町巡査派出所裏の集団員などの中には、同所内に当日の事態に関して逮捕収容されている者を助け出せとの旨叫びながら同派出所に向かって盛んに投石したりして窓ガラスを破壊する者などがあり、同交差点周辺の集団員などは同方面に出動した警官隊に排除されて田村町方向、日比谷映画劇場前などに移動して行ったが、その間排除活動中の警察官に激しく投石したり、中年の男を私服警官だと指摘して取り囲み、その男の否定にも拘らず小づいたりその鞄を取り上げ在中品を路上に散乱させたりし、通行中の米国軍人や自動二輪に乗り交通状況視察中の交通係警察官に投石したり、日比谷映画劇場前に群がって警官隊と対峙中警察官に向かって激しく投石したり同所付近から国電ガード方向に後退した集団員の中には外国人の乗ったタクシーに投石しそのためその一台の乗客の外人女性は恐怖のため付近の飲食店に逃げ込み、産業経済新聞社の窓から集団員などの状況を写真撮影する者があるのを知った集団員は同社前に駐車中の自動車に投石したり「焼いてしまうぞ」などと叫んだりし、米国軍人が逃げ込んだガード下の飲食店に二、三名で赴き「開けろ開けろ」と言って戸を開かせ、土足のまま同店の奥座敷、二階などを探し廻り、同店女子従業員に対し、「かくしだてをするとためにならんぞ」と申し向けおどかしたりする者があった。

一七、馬場先交差点等における状況

馬場先門から皇居外苑外に排除された集団員などは、馬場先交差点一帯になお暫時群がり、一進一退して警察官に立ち向かい、投石したり棒などで殴ったりし、中には雑のうに石を入れて投石者の傍にいる者があり、明治ビルに向かっていて投石しその窓ガラス四十余枚を破壊し、よって同ビル外で警備中の憲兵、日本人警備員らをして同ビル内に退避させ、外国軍人の乗る輸送車に投石したりし、馬場先交差点から警察官に排除されて都庁方面に向かった集団員中には、馬場先交差点と都庁間に駐車中の自動車を棒で叩いたり、これに小石、敷石用の石を投げつけたりしてそのガラスや車体を損傷する者、これらの所為に声援する者、三菱七号館の米国施設診療所前で集団員の状況を見ていた同所勤務のアメリカ人医師、看護婦などに対し「ユーシャルダイ」などと口口に叫んで脅かしたり、同館に向かって投石し入口のガラスを破損する者、都庁内特別消防隊前で同隊の車庫に投石したり棒様のもので扉を抉じ開けようとする者、駐留軍勤務の日本人運転者が日本人従業員を乗せた軍用バスを運転して鍛治橋ガードの手前付近に差しかかるや、これに対し付近にあった工事用の石多数を投げつけてその窓ガラスを破壊する者、帝国劇場前あたりに向かった集団員などの中には通行中の警察のジープ、消防車に対し、石コンクリートやレンガのかけら、棒などを投げつける者、タクシーに投石する者などがあった。

以上のような経過で同日午後六時過頃おおむね事態はおさまった。

一八、武器使用について

本件事態に際し警察官の武器使用につき、催涙ガス筒の使用の適法なること拳銃及び警棒の使用につきその適法なるものと然らざるもののあることについては判決書において詳述するとおりである。

一九、弁護人主張についての判断

本件発生後、本日の判決宣告日まで十七年余を経過したことについて、当裁判所は憲法三七条一項に違反したものとは考えない。その理由と、弁護人その他の主張についての判断は、判決書において説示する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!